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整理センター国田分館[ご案内マップ]

 

埋蔵文化財整理センター国田分館閉館のお知らせ 2016.3.31


整理の成果

平成28年3月末をもって,「埋蔵文化財整理センター国田分館」が,閉館することになりました。当センターでは,平成8年度から,当財団が発掘調査した数多くの遺跡の整理作業が行われ,報告書としてまとめられ,刊行されてきました。
新しい埋蔵文化財整理センターは,城里町の旧北方小学校に新設される「茨城県埋蔵文化財センター いせきぴあ茨城」内に移転します。これまで,埋蔵文化財整理センター国田分館での業務に御協力いただいた皆様,長い間ありがとうございました。
 
埋蔵文化財整理センター国田分館
 

愛宕山古墳群(5〜7号墳) (あたごやまこふんぐん(5〜7ごうふん))[ご案内マップ]


整理の成果

平成26年度に発掘調査した水戸市愛宕山古墳群の整理作業を行いました。主墳である愛宕山古墳の南東側で新たに見つかった3基の円墳です。5号墳が内径約20mと推定される以外は,規模が分かりませんが,築造されたのは出土遺物等から6世紀と考えられます。
5号墳と6号墳は,5号墳の周溝が6号墳を避けて掘り込まれていることから,6号墳の方が古いと考えられます。
7号墳からは,埴輪の破片がたくさん出土しました。大半は円筒埴輪ですが,人物埴輪や形象埴輪も見られます。時期は,埴輪の様子から6世紀中葉と考えられます。
3基の古墳が,近接した場所に次々と造られたことが分かりました。
 
出土した埴輪の破片を接合しています。 円筒埴輪の欠けた部分を補修しています。
 

東田中遺跡 (ひがしたなかいせき)[ご案内マップ]

中津川遺跡2 (なかつがわいせき2)[ご案内マップ]


整理の成果

東田中遺跡と中津川遺跡は,石岡市南東部,山王川を望む標高20〜25mの台地上に位置しています。
整理作業の結果,東田中遺跡では,縄文時代中期の竪穴建物跡や袋状土坑から出土した多量の土器から,当地域の土器様相を知ることができます。古墳時代前期の竪穴建物跡からは,割られた状態で有段口縁の壺が4個体出土しているのが注目されます。室町時代末期の整地遺構からは,石塔部材がまとまりをもって出土し,当地域の人々が先祖を供養した遺構と考えられます。
中津川遺跡の今回の調査区は,縄文時代中期や弥生時代後期の集落の周辺地域にあたります。
 
縄文土器の実測 袋状土坑から出土した縄文土器
 

田宮平遺跡 (たくうだいらいせき)[ご案内マップ]


整理の成果

当遺跡は,牛久市の西部に位置し,稲荷川左岸の標高約20〜24mの台地縁辺部に位置しています。
後期旧石器時代の石器集中地点から出土した石器類は,細かな剥片が多く,当遺跡は,石器製作跡でも石器の最終調整の場であることが分かりました。石器の内訳は,掻器1点,削器1点,剥片82点(二次調整剥片1点を含む)の計84点で,その他の遺構や表土から石核,尖頭器,二次調整剥片が確認できました。石材の内85点は黒曜石で,その多くが栃木県高原山産であることが分かりました。
また,平安時代(9世紀前葉)の竪穴建物跡から出土した灰釉陶器は,尾張国猿投産であることが分かりました。このことから,当遺跡を含む稲荷川周辺の台地上の一般集落でも,9世紀に入ると,東海地方産の施釉陶器を入手できたことが分かります。
 
出土した石器類 竪穴建物跡から出土した灰釉陶器(長頸瓶)
 

瑞龍古墳群 (ずいりゅうこふんぐん)[ご案内マップ]


整理の成果

当遺跡は,常陸太田市の南部に位置し,里川右岸の標高約47mの台地縁辺部に立地しています。
発掘調査では,古墳時代前期の方形周溝墓が14基確認されました。整理作業の結果,方形周溝墓から出土した土師器甕は,東京湾周辺の影響を受けており,この地に移り住んできた人々や,新しい文化をもった人たちと交流のある人々が葬られたと考えられます。また,出土した壺や甕の底部は穴をあけたり,打ち欠いたりしており,亡くなった人を弔う儀式を行っていたことがわかりました。
さらに,6世紀と考えられる第4号墳の箱式石棺に埋葬されていた人物は,検出された歯の状況から30歳から40歳代の男性であったことがわかりました。
 
第11号方形周溝墓から出土した土器 方形周溝墓から出土した底部が打ち欠かれた壺
 

取手宿跡 (とりでしゅくあと)[ご案内マップ]


整理の成果

当遺跡は,取手市の南東部に位置し,西から東へ流れる利根川左岸の標高6〜8mの河岸段丘上に立地しています。
整理作業の結果,発掘調査で見つかった焼土層や火災処理の土坑の出土遺物から,文献記録には残っていない江戸時代後期(19世紀後半)に,宿場町が火災にあったことがわかりました。また,火災処理の土坑の分布状況から大規模な火災であることがわかりました。
 
出土した土器を接合しています 取手宿跡の出土遺物
 

仁江戸古墳群(13号墳) (にえどこふんぐん(13ごうふん))[ご案内マップ]


整理の成果

当古墳群は,八千代町の南東端部,鬼怒川右岸の標高21〜26mの台地上に位置しています。
整理作業の結果,当古墳の周溝は7〜10mの幅で,逆台形状に巡ることがわかりました。このことから,当古墳は,約150m東に位置している香取神社古墳と同じ向きで,前方部が北側に位置する前方後円墳の可能性があります。墳丘の長さは,内法(うちのり)で45mほどと推定され,当古墳群の中で中心的な古墳と考えられます。造られた時期は,埴輪(はにわ)を伴わないことや出土した土器などから,5世紀後葉頃と考えられます。
 
出土した土器を接合しています 墳丘の土層断面の様子
 

 
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