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整理センター国田分館[ご案内マップ]

日向遺跡(ひなたいせき)[ご案内マップ]

整理の成果

日向遺跡は,常陸太田市の南部に位置し,亀作川とその支流によって開析された標高29〜34mの舌状台地縁辺部に立地しています。調査は平成22年6月から平成23年3月にかけて行い,主として古墳時代の古墳と集落跡,平安時代の集落跡を確認しました。整理作業は2年間の予定で行っており,現在整理作業中のため,今回は古墳時代の様相について,現段階での成果を報告します。

確認した古墳は1基で,径が30mほどの大きさです。時期は,周溝から出土している土器から中期に築造されたことがわかりました。また,周溝の外縁や内縁に直線的な部分が確認でき,計画的な人員の配置のもとで,当墳が築造されていると考えられます。後期になると,住居数が急激に増加し,墓域から集落へ変化していく様相がうかがえます。今後,整理作業が進むにつれて,当遺跡の様相がさらに明らかになっていくことでしょう。

 
写真1 確認された中期の古墳
写真2 出土した古墳時代の土器
 

釈迦新田遺跡(しゃかしんでんいせき)[ご案内マップ]

整理の成果

釈迦新田遺跡は,五霞町北部に位置し,西から東へと流れる利根川右岸の標高10〜11mの台地上に立地しています。当遺跡の調査は,平成21年度から22年度にかけて首都圏氾濫区域堤防強化対策事業に伴って行いました。4,397㎡の調査区から,竪穴住居跡2軒,井戸跡21基,火葬土坑4基,方形竪穴遺構8基,土坑224基,堀跡1条,溝跡20条などを確認しました。また,主な遺物について,縄文土器,土師質土器,瓦質土器,陶器,磁器,石器,金属製品などが出土しました。

これらの遺構や遺物の整理を行った結果,竪穴住居跡2軒はいずれも出土土器や遺構の形状から,縄文時代中期のものと分かりました。第2号住居跡で確認した土器埋設炉の炉体土器を調べたところ,3個体の縄文土器によって囲まれていることが分かりました。 これらの遺構や遺物から,縄文時代中期には集落が営まれ,中世に荼毘所や墓域に関わる場所として,近世では治水や利水で,または墓域として利用されていたことが分かりました。  

当遺跡は大小の河川に囲まれた地域にあり,古くから人々が水との関わりの中で日々の暮らしを営んできた,その一端を垣間見ることができます。
 
写真1 東上空から見た平成21年度の調査区
写真2 第2号住居跡の土器埋設炉として
使用されていた縄文土器
 

宮後遺跡・部田野西原遺跡(みやごいせき・へたのにしはらいせき)
宮後遺跡
[ご案内マップ] ・ 部田野西原遺跡[ご案内マップ]

整理の成果

宮後遺跡・部田野西原遺跡は,ひたちなか市の東部に位置し,中丸川と本郷川の合流点の北東部,標高26m〜27mの南北に延びる台地の,緩やかな斜面に立地しています。両遺跡の調査は国道245号の拡幅工事に先立ち,遺跡の情報を記録保存することを目的として行いました。

宮後遺跡からは,縄文時代の陥し穴や土坑,弥生時代,古墳時代,奈良時代および平安時代の竪穴住居跡などが確認できました。なかでも,古墳時代と奈良時代の大形住居跡が1軒ずつ確認されており,周辺地域における有力者の存在を示す遺構として注目されます。

これらの遺構や,そこから出土した遺物の整理を行った結果,古墳時代の大形住居跡から出土した土器には福島県域の特徴を持つものが含まれており,この時期に東北地方との交流があったことが分かりました。奈良時代の竪穴住居跡からは,古代の文房具である硯が出土しており,字の読み書きができる識者が存在したことが分かりました。平安時代の竪穴住居跡からは,皇朝十二銭のひとつである隆平永寶が出土し,茨城県内で5例目の貴重な発見となりました。皇朝十二銭は,古代の役所,地域の中心的な集落,仏教に関係する遺跡などから出土しており,当遺跡の性格を考える上で非常に重要な遺物です。こうしたことから,宮後遺跡は古墳時代から平安時代にかけて,地域の中心的な集落であった可能性が高いものと考えられます。

部田野西原遺跡からは,竈が2基併設された平安時代の竪穴住居跡が確認できました。住居跡や,そこから出土した遺物の整理を行った結果,2基が併設された竈は周辺地域においては珍しいタイプのものであることが分かりました。同様の竈や時期が近い遺物が宮後遺跡の住居跡からも確認されていることから,2つの遺跡は同一の集落跡の可能性があります。
 
写真1 北西上空から見た宮後遺跡
写真2 延暦15(796)年につくられた
「隆平永寶」(宮後遺跡出土)
 

島名熊の山遺跡(しまなくまのやまいせき)[ご案内マップ]

整理の成果

島名熊の山遺跡は,つくば市の南部に位置し,東谷田川左岸の標高18〜25mの台地上に立地しています。当遺跡の調査は,土地区画整理事業に伴う事前調査で平成7年度から本年度まで16年間にわたり断続的に調査を行っています。今回の報告分までの調査総面積は237,225㎡になります。

今回報告する調査区は遺跡の北西部にあたり,平成16・18〜20年度に断続的に6回の調査を行ったもので,総面積は31,753㎡になります。この調査では,古墳時代前期から平安時代後期にかけて,住居跡81軒,竪穴遺構5基,墓坑2基,井戸跡1基,土坑8基,中世から近世にかけての竪穴遺構1基,井戸跡31基,墓坑7基,溝跡24条などを確認しています。住居跡は,古墳時代後期が51軒と最も多く,6世紀中葉から7世紀前葉にかけて床面積が90㎡を超える大形住居を核として,集団が構成されていたことが明らかになりました。また,第2572号住居跡の竈の東側から,土製品(土玉,勾玉,鏡形模造品,鋤先形土製品)がまとまって出土し,竈神や地鎮に関わる祭祀が行われたものと推測できます。

中世の遺構は,調査区の南側で多く確認されており,生活に関わる遺構のほかに火葬土坑や墓坑,地下式坑などの埋葬に関わる遺構が見られるのが特徴的です。

この調査区の南側には「妙徳寺」が所在しており,中世から妙徳寺に関わる墓域であったものと考えられます。
 
写真1 北上空から見た島名熊の山遺跡
写真2 第2572号住居跡の竈の東側から
まとまって出土した土製品(土玉,勾玉,
鋤先形土製品,鏡形模造品)
 

宮内遺跡(みやうちいせき)[ご案内マップ]

整理の成果

宮内遺跡は,坂東市の中央部を南北に流れている江川右岸の標高10〜15mの台地縁辺部に所在しています。当遺跡の調査は,平成22年度に国道354号岩井バイパス事業に伴って行い,6,622㎡の調査区から竪穴住居跡64軒,掘立柱建物跡2棟,井戸跡3基,土坑103基,溝跡14条などを確認しました。また,土師器や須恵器などの多量の土器のほか,奈良・平安時代の住居跡からは135gもの鉄滓等が出土しました。これらの遺構や遺物から,当遺跡は主として古墳時代前期から平安時代前期にかけての集落跡であることがわかりました。

これらの遺構や遺物の整理を行った結果,古墳時代の須恵器は他地域からもたらされたものであったこと,奈良時代の第47号住居跡から投棄された状態で出土した約100kgに及ぶ多量の製鉄関連遺物は,炉壁・炉底塊・炉内滓・鉄塊系遺物などであったことなどがわかりました。当時の製鉄は,粘土で作った炉内に砂鉄を入れて多量の木炭を燃やし,炉底にできた塊や滓を小割りして,鉄分を多く含んだ鉄塊や含鉄滓を取り出して鉄の素材としていました。今回の調査区内から製鉄炉は確認できませんでしたが,これらの遺物から付近で製鉄が行われていたことが明らかになりました。

当遺跡は,古墳時代前期に台地上に集落が形成され,次第に縁辺部まで拡大して平安時代まで継続していたことが明らかになりました。奈良時代後半期には住居の軒数が増加し,製鉄関連遺物の出土量も急増しています。当時,鉄の生産は国が管理していたことから,この集落には国から派遣された製鉄工人が居住していた可能性があります。

 
写真1 南上空から見た宮内遺跡
写真2 奈良・平安時代の住居跡から出土した羽口・炉壁・小割りされた炉内滓
 

下平塚蕪木台遺跡(しもひらつかかぶきだいいせき)[ご案内マップ]

整理の成果

下平塚蕪木台遺跡は,つくば市の中央部に位置し,蓮沼川右岸の標高24mの舌状台地上に立地しています。当遺跡の調査は,土地区画整理事業に伴う記録保存調査で平成18年度から開始され,これまでの調査で古墳時代後期から平安時代までの集落跡を確認しました。

今回の調査区は,遺跡が立地する台地の東部にあたります。3,831㎡の調査区には,竪穴住居跡68軒,掘立柱建物跡22棟,鍛冶工房跡1基などが確認できました。これらの遺構は奈良・平安時代が中心であり,奈良時代では大形住居跡5軒と共に整然と配された掘立柱建物跡10棟が確認でき,これらを中心に計画的に作られた集落の様子が分かりました。平安時代では住居跡や掘立柱建物跡のほかに鍛冶工房跡が確認でき,多くの鍛冶関連遺物が出土しました。

当遺跡は,奈良時代から本格的に集落が営まれました。律令体制のもと新たに蓮沼川流域の開発を担った集落であります。今回の整理で,調査区東部の集団が中心となって開発が始まったことが分かりました。また,集落内で農耕具などの鉄製品を製作し,それらを使って未開の地を開墾し,村が拡大していった開発拠点の一つの状況が明らかになりました。
 
写真1 南上空から見た調査区
写真2 鍛冶工房跡から出土した鍛冶関連遺物
 

鹿島台遺跡・保土通遺跡(かしまだいいせき・ほどとおりいせき)[ご案内マップ]

整理の成果

鹿島台遺跡と保土通遺跡は,那珂市の北部(旧瓜連町)に所在し,久慈川右岸の標高36〜39mの那珂台地上に位置しています。鹿島台遺跡の南西部には,久慈川の支流である春日川が東流し,支谷が形成されています。その対岸に保土通遺跡が隣接しています。道路整備事業に伴なう事前調査として,平成22年度に発掘調査が実施されました。調査の結果,鹿島台遺跡では,古墳時代から平安時代までの竪穴住居跡12軒,掘立柱建物跡2棟,粘土採掘坑2基などが確認され,保土通遺跡では,古墳時代の竪穴住居跡1軒と窯跡1基,窯関連遺構などが確認されました。

整理の結果,鹿島台遺跡では,古墳時代から奈良,平安時代へと下るに従い,春日川沿いの台地縁辺部まで集落が拡大していったことがわかりました。また,第2号粘土採掘坑からは,「高月郷」(たかつきごう)と墨書された坏が出土しており,当遺跡のある地域は倭文郷(しどりごう)であったことから,他地域との交流があったことがわかりました。

保土通遺跡の整理では,窯跡に近接する掘立柱建物跡2棟,柵跡2列,竪穴遺構1基,粘土を貼った土坑1基が窯関連遺構であることがわかりました。また,窯跡と関連遺構から出土した窯道具は,トチン,籾団子,サヤ鉢,輪ドチ,棒状粘土紐,留具,杭の7種類であることがわかりました。これらの窯道具を観察したところ,何度も繰り返し使用したものではないことから,この窯は試行的な操業であったことがわかりました。
 
写真1 南東上空から見た鹿島台・保土通遺跡
写真2 出土した様々の窯道具
 

上境旭台貝塚(かみざかいあさひだいかいづか)[ご案内マップ]

整理の成果

上境旭台貝塚は,つくば市の東部に位置し,桜川右岸の低地から入り込む谷津に面する標高24〜27mの台地縁辺部に立地しています。当遺跡の調査は,区画整理事業に伴う事前調査で平成19年度から開始され,これまでの調査で縄文時代の集落跡が確認されています。

今回の調査区は,台地の南東部にあたります。2,898㎡の調査区には,台地上及び台地縁辺部に縄文時代後期後葉から晩期中葉の住居跡5軒と,斜面部に後期後葉から晩期前葉を主体とする貝層,多量の遺物を含む遺物包含層が確認できました。貝層は汽水域に生息するヤマトシジミを主体とするもので,整理の結果,多量の土器や石器のほか,シカやイノシシなどの獣骨,スズキやクロダイなどの魚骨,キジやカモなどの鳥骨が多量に確認できました。氷河期の動物で,縄文時代晩期まで生息していたとされるオオヤマネコも確認しました。また,貝層中からは人骨も出土しており,埋葬されたことも確認できました。今回の整理で,縄文時代の旭台のムラをとりまく環境と生活資源が明らかにできました。
 
写真1 南上空から見た上境旭台貝塚
写真2 貝塚から出土した貝製品
 

見て,ふれて,楽しい考古学 −茨城県教育財団調査遺跡ミニ紹介展2011 (Inイオンモール水戸内原店)−を開催しました。

11月25日(金)〜27日(日),イオンモール水戸内原店で調査遺跡ミニ紹介展を開催いたしました。3日間で総数681人という多くの皆様にご来場いただき,ありがとうございました。歴史を掘り起こす学問である考古学について,少し身近なものに感じていただけたのではないでしょうか。

土器や石器を目の前にして,多くの方々が熱心に見学され,解説する調査員も自然と熱が入り,会場は熱気にあふれていました。休日ということもあって,家族連れの方々も多く,体験コーナーでは親子で楽しむ姿も見られました。 整理センター国田分館では,事前にお申し込みいただければ,展示室や実際の整理作業の様子も見学することができます。お気軽にご連絡ください。

開館日:毎週月曜日〜金曜日(土・日曜日・祝祭日は閉館)
開館時間:午前9:00〜午後4:30

 
写真1 注目を集めた貝層のはぎ取り
写真2 オープンな展示で遺物も身近に
 
写真3 大盛況のギャラリートーク
写真4 土器パズルを楽しむ親子
 

薬師後遺跡(やくしうしろいせき)[ご案内マップ]

整理の成果

薬師後遺跡は,稲敷市のほぼ中央部に位置し,霞ヶ浦に注ぐ小野川の右岸,谷津に挟まれた標高25〜28mの台地の上に立地しています。当遺跡の調査は,圏央道の建設にさきがけて平成18年度から開始され,これまでの調査で古墳時代から平安時代にかけての集落跡が確認されています。

今回の調査区は遺跡が立地する台地の東部にあたります。802㎡の調査区には,33軒の住居跡と5棟の掘立柱建物跡が所狭しと掘り込まれていました。整理の結果,これらの遺構は6世紀から9世紀頃のものであることが分かりました。特に平安時代の遺構からは須恵器の円面硯や灰釉陶器なども出土しており,これまでの調査区に比べて遺構の密度が高いことから,今回の調査区周辺が集落の中心部であったことが分かりました。
 
写真1 北側上空から見た薬師後遺跡
写真2 奈良・平安時代の土器類
 

見て,ふれて,楽しい考古学 −茨城県教育財団調査遺跡ミニ紹介展2011 (In茨城大学図書館・整理センター国田分館)−を開催しました。

11月2日(水)〜6日(日),茨城大学図書館及び整理センター国田分館にて調査遺跡ミニ紹介展を開催いたしました。両会場とも多くの皆様にご来場いただきありがとうございました。考古学を少し身近なものに感じていただけたのではないでしょうか。

上境旭台貝塚のはぎ取った貝層を始め,水戸城跡から出土した陶磁器や瓦,切石などに多くの注目が集まり,たくさんのご質問をいただきました。11月25日(金)〜27日(日)は,イオンモール水戸内原店にて,さらに展示遺物を増やしてミニ紹介展を開催します。来場された方に,考古学グッズのプレゼントも用意いたします。たくさんの方のご来場をお待ちしております。
 
写真1 動物の骨や土器も観察できる貝層
写真2 多数展示された古代の土器や鉄製品
 

水戸城跡(みとじょうあと)[ご案内マップ]

整理の成果

水戸城跡は,JR常磐線水戸駅の北側,標高30mの台地上に位置しています。遺跡の記録保存を目的として,茨城県教育財団が平成22年度に発掘調査を実施しました。  

調査で,現在の地面の下に,整地された面が確認でき,上面から第1〜9次面としました。整理作業では,各次面の遺物と遺構を検討し,詳しい時期や性格について調べました。その結果,中世から近代にかけて大規模な改修が何度も行われていることが分かりました。  

江戸時代には,徳川氏によって二の丸御殿が築かれており,絵図面との対応から,今回の調査区は,二の丸御殿のほぼ中央に位置していると考えられます。江戸時代では二つの生活面が確認でき,建て替えに伴う整地が二度行われていることが分かりました。特徴的な遺構として,凝灰岩を使用した石組み遺構や用排水路跡があります。 また「師」とプリントされた,水戸城が廃城した後に移転してきた茨城県尋常師範学校のものと思われる磁器が出土しており,城から学校へと土地の利用のされ方が変化してゆく様子も確認することができました。
 
写真1 調査区北壁の土層断面 
写真2 近世面から出土した遺物
 

新堀東遺跡(しんぼりひがしいせき)[ご案内マップ]

整理の成果

新堀東遺跡は,土浦市の東部に位置し,霞ヶ浦の土浦入り北岸,標高26mほどの舌状台地基部に立地しています。

調査で確認できた堀跡は,北側と南側の谷津頭を直線状に結び,台地の通行を遮断することを目的に構築されたと考えられます。当遺跡の西方約2kmの舌状台地先端部には,中世の城館である手野城が存在し,城の防御施設として構築されたと考えられます。出土遺物がほとんどないため,時期は明確でありませんが,当地の領主である小田氏やその家臣で手野城の城主とされる中根氏が,佐竹氏の南下政策に対する備えとして,戦国末期に構築したと想定されます。
 
写真1 南側上空から見た新堀東遺跡
写真2 断面形がV字状(薬研堀)の堀跡
 

大学生が職場体験をしました。

茨城県主催のインターンシップ事業で,茨城大学の学生が職場体験に訪れました。土器の接合や遺物の実測,トレース作業など整理センターで行っている報告書作成の業務を1週間にわたって体験しました。実測図を何度も書き直すなど,調査で明らかになった事柄を正確に報告する難しさを痛感したことが,感想でも述べられていました。  

事前にお申し込みをいただければ,展示室や整理作業の様子も見学できますので,たくさんの方のご来館をお待ちしています。

開館日:毎週月曜日〜金曜日(土・日曜日・祝祭日は閉館)
開館時間:午前9:00から午後4:30まで
 
写真1 トレース作業に集中しています
写真2 遺物撮影も体験しました
 

児松遺跡(こまついせき)[ご案内マップ]

整理の成果

児松遺跡は,稲敷市の西部に位置し,沼里川と小野川に挟まれた標高20mほどの舌状台地縁辺部に立地しています。平成18年度の第1次調査に続いて,平成20・21年度に第2次調査を行いました。

第1次調査では,縄文時代中期後葉の竪穴住居跡と土坑が確認されていますが,今回の調査では,新たに縄文時代後期初頭の竪穴住居跡と土坑,弥生時代後期・古墳時代前期の竪穴住居跡が確認できました。集落は断続的に営まれ,北西側に広がりを持つことが確認できました。また,縄文時代の土坑から確認された貝はハマグリやシオフキで,古墳時代の住居跡から確認された貝はヤマトシジミであり,霞ヶ浦が淡水化していく様相がうかがえます。

 
写真1 北側上空から見た児松遺跡
写真2 確認された縄文時代の住居跡
 

県立中央青年の家主催事業で,小学生が体験学習のため来館しました。

中央青年の家主催事業「どきどき体験!歴史の世界へタイムワープ」の体験学習の一環として,23人の小学生が整理センター国田分館を訪れました。土器の接合や拓本とり等の体験や,展示室と整理作業の見学を行いました。特に接合体験では,組み合わさって,だんだん形になっていく土器に歓声をあげながら,時を忘れて熱心に取り組んでいました。

当館では事前にお申し込みをいただければ,展示室や整理作業の様子も見学できますので,たくさんの方のご来館をお待ちしています。

開館日:毎週月曜日〜金曜日(土・日曜日・祝祭日は閉館)
開館時間:午前9:00から午後4:30まで
 
写真1 立体パズルのような土器の接合
写真2 拓本も上手にとれました!
 

根岸西遺跡(ねぎしにしいせき)[ご案内マップ]

整理の成果

根岸西遺跡は,日立市の南部に位置し,太平洋を望む多賀山地東端の舌状台地上,標高70〜75mの斜面部に所在しています。当遺跡が主要地方道日立笠間線道路整備事業地内に所在することから,遺跡の内容を図や写真に記録するために,茨城県教育財団が平成16年度に第1次調査,今回は第2次調査を実施しました。

第2次調査は平成23年1月から3月まで行い,平安時代の竪穴住居跡1軒,土坑73基,溝跡4条,道路跡1条を確認しました。

平成23年4月から6月まで整理を行った結果,縄文時代,平安時代,中世の各時代の遺跡であることが分かりました。  

縄文時代の土坑群は,主に集落(住居跡)の貯蔵施設や廃棄施設として利用されていたと考えられます。出土した土器は,後期初頭から後期前葉にかけてのものがほとんどで,特に東北地方南部の特徴をもつ土器が多く出土しました。さらに,平安期時代の住居跡も竈の煙道部が長いなど,東北地方の影響を受けていることがわかりました。   

このことから,当集落の人々は,東北地方の人々との交流が盛んだったことがうかがえます。

 
写真1 上空から見た根岸西遺跡
写真2 出土した縄文土器
 

整理センター国田分館展示室リニューアルのお知らせ

整理センター内の展示室では,茨城県内の遺跡から出土した遺物の展示を行っています。 現在,根岸西遺跡(縄文時代後期の遺物),上境旭台貝塚(縄文時代後期〜晩期の遺物),高須賀中台東遺跡(古墳時代前期の遺物),日向遺跡(奈良時代〜平安時代の遺物),清水古墳群(中世の遺物),島名熊の山遺跡(古墳時代,中世・近世の遺物),水戸城跡(近世の遺物)から出土した遺物の展示を行っています。遺物の一部は,実際に手を触れることも出来ます。ぜひお気軽にお越し下さい。

開館日:毎週月曜日〜金曜日(土・日曜日・祝祭日は閉館)
開館時間:午前9:00から午後4:30まで

 
写真1 ようこそ国田分館展示室へ
写真2 展示室の様子1
 
写真3 展示室の様子2
写真4 発掘現場の様子も,パネルで展示しています
 

当間小学校5・6年生の国田分館見学

当間小学校5・6年生が社会科学習の一環として整理センター国田分館を訪れ,整理作業を見されしました。土器や実際の作業内容を目の当たりにした皆さんは,真剣なまなざしでたくさんの質問をされました。  事前にお申し込みをいただければ,展示室や整理作業の様子も見学できますので,たくさんの方のご来館をお待ちしています。

開館日:毎週月曜日〜金曜日(土・日曜日・祝祭日は閉館)
開館時間:午前9:00から午後4:30まで

 
写真1 古代の土器に興味津々!
写真2 土器の接合作業を見学
 

新田遺跡(しんでんいせき)[ご案内マップ]

整理の成果

新田遺跡は,水戸市の北部,田野川によって浸食された谷頭の全隈町に所在しています。遺跡は,丘陵地の標高約110m付近に立地し,調査区は南側に向かって谷津が落ち込む斜面地になっています。調査は平成21年5月から7月まで行い,縄文時代の住居跡3軒,炉跡7基,陥し穴6基,土坑21基と時期不明の道路跡1条,土坑21基,ピット群1か所を確認しました。

平成23年4月から6月まで整理を行った結果,住居跡等は縄文時代早期から前期と,中期から後期といった大きく2時期に分けることができました。早期から前期にかけては,陥し穴が2基を1単位として斜面地の縁辺部に直線的に配置され,炉跡は同じ等高線上にほぼ円形に配置されているなど,狩り場として利用されていたことが考えられます。中期から後期では,竪穴住居跡が3軒確認されており,集落が営まれていたことが判明しました。この時期には,近隣でも集落が営まれるようになっています。また,遺物では,石鏃や剥片が多数出土していることから,石器の製作を行っていた可能性が考えられます。

 
写真1 北上空から見た新田遺跡
写真2 出土した土器と石器
 

報告書が出来上がるまで

報告書作成では,まず発掘調査で記録した図面や写真等の点検を行った後,破片で出土した土器を分類して接合し,復元した土器の実測や拓本を取るなどの作業を行います。次に土器や住居跡の実測図を,ロットリングというペンでなぞるトレースという作業をします。

土器類は,記録に残すための写真撮影をし,最後に遺跡についての説明文とこれらの実測図や写真の記録を合わせて,一冊の本にします。

開 館 日:毎週月曜日〜金曜日(土・日曜日・祝祭日は閉館)
開館時間:午前9:00から午後4:30まで

 
写真1 土器の分類・接合
写真2 土器の復元
 
 
写真3 土器の拓本取り
写真4 土器の写真撮影
 
なお,整理センター見和では報告書などの図書の閲覧が可能です。希望される方は,当財団本部企画管理課(TEL:029-225-6587)までお問い合わせ下さい。
 

整理センター国田分館の開館のお知らせ

整理センターでは,茨城県内の発掘調査で記録した図面の整理や出土した土器の接合・復元・実測などの作業を行って,報告書を作成しています。
本年度は,大子町橋元遺跡,日立市根岸西遺跡,常陸太田市日向遺跡,那珂市保土通・鹿島台遺跡,ひたちなか市宮後・部田野西原遺跡,水戸市水戸城跡,新田遺跡,土浦市新堀東遺跡,つくば市島名熊の山遺跡,下平塚蕪木台遺跡,上境旭台貝塚,稲敷市薬師後遺跡,児松遺跡,坂東市宮内遺跡,五霞町釈迦新田遺跡に関する整理事業を行う予定です。
現在,展示室では日向遺跡や島名熊の山遺跡の古墳時代から平安時代の土器を展示し,体験コーナーも併設しております。
事前に申し込んでいただければ,整理作業の見学,図書類の閲覧が可能です。昨年度は子どもたちを対象にした体験活動も実施し,大変好評でした。たくさんの方のご来館をお待ちしております。

開 館 日:毎週月曜日〜金曜日(土・日曜日・祝祭日は閉館)
開館時間:午前9:00から午後4:30まで

 
写真1 開室した展示室
写真2 体験コーナーの土偶パズル
 

なお,整理センター見和では報告書などの図書の閲覧が可能です。希望される方は,当財団本部企画管理課 担当:酒井(TEL:029-225-6587)までお問い合わせ下さい。

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