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坂東岩井事務所

〒306-0514 坂東市岩井字薬師下697-1番地

TEL/FAX 0297-36-2123

 
遺跡名
調査期間
主な遺構
主な遺物
長右エ門元屋敷遺跡 平成23年5月〜平成23年8月 縄文時代,平安時代,近世 竪穴住居跡,掘立柱建物跡,溝跡,柵跡,土坑,粘土貼土坑,火葬墓

縄文土器,須恵器,土師質土器,陶器,磁器,石器,土製品,金属製品

*主な時代をクリックすると年表が出ます。
 

長右エ門元屋敷遺跡(ちょううえもんもとやしきいせき)[ご案内マップ]


調査終了状況

  長右エ門元屋敷遺跡の調査が終了しました。今回の調査で,縄文時代から近世にかけての複合遺跡であることがわかりました。江戸時代の屋敷跡を確認することができ,屋敷森に囲まれた空間に母屋や倉庫が建っていたことがわかりました。付随施設として粘土を貼り付けた土坑群や北側に井戸跡が確認でき,屋敷の構造がよく分かります。屋敷跡の柱穴や屋敷近くの土坑からは碗や鉢などの陶磁器類(日常雑器類),煙管,銭貨などが出土しました。なお,8月20日(土)に現地説明会を実施しました。曇り空の中でしたが,約200名の方が参加され,当時のくらしに思いをよせられていました。
 
約42坪の母屋跡 
近世の遺構について調査員の話を熱心に聞く参加者
 

坂東岩井事務所(長右エ門元屋敷遺跡)発掘調査遺跡現地説明会のお知らせ

  国道354号岩井バイパス・主要地方道結城坂東線バイパス新設整備に伴い,長右エ門元屋敷遺跡・馬立原遺跡・駒寄溜遺跡を記録保存するための発掘調査が間もなく終了します。上記3遺跡の調査成果を下記の日程で公開します。いにしえの生活のようすを感じ取っていただければ幸いです。皆様のご来場をお待ちしております。
 
1日時
平成23年8月20日(土)
午前10時30分公開・説明開始
(午前11時45分終了予定)
2場所 長右エ門元屋敷遺跡
坂東市岩井字長右エ門元屋敷526番地2
※駐車場[ご案内マップ]
3調査の概要 長右エ門元屋敷遺跡は,坂東市中央部を流れる江川右岸,標高18〜19mの台地の中央部に位置しています。
 
今回の調査は,馬立原遺跡が9,212㎡を対象に,平成23年1月から5月まで,長右エ門元屋敷遺跡が8,000㎡を対象に平成23年6月から8月まで,駒寄溜遺跡が2,878㎡を対象に平成23年6月から7月までそれぞれ実施しています。

これまでの調査で,長右エ門元屋敷遺跡では,竪穴住居跡1軒,掘立柱建物跡5棟,溝跡1条などを確認しました。特に,遺跡中央部からは蔵骨器を埋納した火葬墓1基が確認されています。蔵骨器は須恵器の甕を外容器として,その内側に火葬された人骨を納めた須恵器の甕,その上に須恵器の高台付皿を内蓋,須恵器の鉢を外蓋としていました。須恵器の年代はいずれも9世紀代と考えられます。

馬立原遺跡では,近世の区画溝から高さ4.5cmほどの銅造弥勒仏立像が出土しました。 駒寄溜遺跡では,縄文時代中期と平安時代前期の竪穴住居跡1軒を確認しました。
 
今回の調査成果は,当地域の歴史を解明する上で貴重な資料になるものと考えられます。
4お問い合わせ先 財団法人茨城県教育財団
企画管理課TEL:029-225-6587
坂東岩井事務所TEL:0297-36-2123
 
焼骨を埋納した蔵骨器
近世の溝から出土した小銅仏
 

平成23年6月の調査状況

  国道354号岩井バイパス整備にともなう調査が始まって2ヶ月がたちました。5月から8月までの4か月間で7,484㎡を調査します。縄文時代の住居跡1軒,平安時代の火葬墓1基,近世の掘立柱建物跡8棟,粘土貼土坑8基,溝跡1条,土坑約400基などを確認しました。火葬墓は,調査区中央部の北側で確認され,須恵器の甕や鉢,高台付皿を蔵骨器として火葬骨を納めていました。いずれも9世紀中頃の須恵器であることから,当時の有力者が手厚く埋葬されていたことが推測されます。
 
遺構確認状況(西から)
火葬墓で使用されていた須恵器甕
 

 
遺跡名
調査期間
主な遺構
主な遺物
馬立原遺跡 平成23年4月〜平成23年6月 縄文時代,近世 竪穴住居跡,掘立柱建物跡,溝跡,道路跡,柵列,土坑,井戸跡

縄文土器,土師質土器,陶器,磁器,石器,土製品,金属製品

*主な時代をクリックすると年表が出ます。
 

馬立原遺跡(まだてはらいせき)[ご案内マップ]


調査終了状況

  馬立原遺跡の調査が終了しました。今回の調査で,当遺跡は縄文時代から近世にかけての複合遺跡であることがわかりました。縄文時代中期の遺構としては,竪穴住居跡が1軒確認できました。集落の中心は,台地縁辺部にあたる西側に広がっていたことが想定できます。  

古代には,自然の地形を利用して馬牧を行っていたことが字名から想定できますが,今回の調査ではそれを証明できる遺構や遺物は確認できませんでした。

中世・近世には井戸を備えた簡易的な倉庫を建て,耕作地としていたことが考えらます。確認された溝内からは,近世の陶磁器類のほかに,高さ4.5cmほどの小銅仏(薬師如来像)が出土しており,当遺跡の南西に位置する延命寺の薬師堂に祀られている薬師如来への信仰との関連が想定できます。
 
南西上空から見た馬立原遺跡
溝内から見つかった小銅仏
 

平成23年4月の調査状況

  1月から始まった調査も4か月目を迎えました。これまでの調査で,縄文時代の竪穴住居跡1軒の他,陥し穴1基,掘立柱建物跡2棟,溝跡7条,道路跡1条,柵列8条,井戸跡4基などを確認しました。第1号住居跡からは,煮炊きに使ったと考えられる深鉢片が出土しました。出土遺物から,縄文時代中期中葉(約4,500年前)の竪穴住居跡と考えられます。他にも,縄文土器片や石鏃などが出土していることから,縄文時代の集落跡が周辺に広がるものと考えられます。
 
今から約4500年前の住居跡
区画溝の間を利用していた道路跡
 
 

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