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石岡事務所

 

東田中遺跡(ひがしたなかいせき 08-205-162) [ご案内マップ]
112 321 444*84
「マップコード」および「MAPCODE」は(株)デンソーの登録商標です。

所在地 茨城県石岡市東田中字貝柄828番地ほか
立地 石岡市の南東部,山王川左岸の標高24mの台地裾部から台地上
調査原因 一般国道6号千代田石岡バイパス建設事業
委託者 国土交通省関東地方整備局常陸河川国道事務所
調査期間 2016年7月1日〜2017年1月31日
調査面積 4,110㎡
種類 集落跡
主な時代 縄文時代,古墳時代,平安時代,室町時代,江戸時代
主な遺構 竪穴建物跡10棟,土坑582基,溝跡7条,道路跡3条,包含層1か所
主な遺物 縄文土器(深鉢・浅鉢・注口土器),土師器(坏・高台付坏・高坏・甕),須恵器(𤭯・蓋),土製品(土製支脚・土玉・土器片錘・土器片円盤),石器(鏃・磨石・敲石・打製石斧・磨製石斧・砥石・敲砥石・石皿・凹石・垂飾り・剥片),金属製品(小形銅製仏像・刀子・古銭)
*主な時代をクリックすると年表が出ます。
 

調査の成果

今年度の東田中遺跡の調査が終了しました。今回は,竪穴建物跡10棟(縄文2・古墳4・平安4),土坑582基(縄文470・古墳1・時期不明111),溝跡7条(室町1・江戸2・時期不明4),道路跡3条(江戸2・時期不明1)と遺物包含層1か所(縄文)を調査しました。調査の結果,縄文時代,古墳時代,平安時代には集落が営まれ,室町時代には高野浜城に関わると推定される溝などの施設が構築されていることが明らかになりました。特に,縄文時代中期の貯蔵用とされる袋状土坑が台地縁辺部一帯で確認され,約450基を調査しました。それらからは、廃絶時に入り込んだ土器や石器が出土しました。石器には狩猟に用いる石鏃が少なく,堅果類などの加工に用いる磨石,敲石,石皿,凹石などが多くみられます。調査区の斜面部には、2か所の貝塚を確認しており,山や海の恵みの採集が生活の中心であったことを物語っています。この他には,古墳時代後期の張り出し施設を持つ竪穴建物跡や東海産須恵器,平安時代の竪穴建物跡から出土した小形銅製仏像が出土しています。古墳時代の地域間の交流や平安時代の仏教が徐々に庶民へ広がっていった様子の一端が垣間見られました。
 
調査区遠景(北西から) 調査区近景(北東から)
   
様々な土地利用の痕跡(調査区西部) 台地縁辺部に広がる袋状土坑群(調査区東部)
 

調査の状況

7月から始まった調査も終盤となってきました。現在,調査区東部の南側を調査しています。北側と同様に縄文時代の土坑群を数多く確認しましたが,南側の台地縁辺部に向かって,その数が減っていくことが明らかになりました。それらの多くは深さ約20cmの浅い土坑ですが,遺構の形状や遺物の出土状況から推測すると,当初は深く掘り込まれていた土坑が,後世に上部を大きく削られてしまったものと考えられます。第1358号土坑からは,3点の縄文土器が土坑の壁際に沿って寄り添うように並んだ状態で出土しました。
 
土器が寄り添い並ぶ土坑(第1358号土坑) 土器片が散在する土坑(第1372号土坑)
 

調査の状況

調査区東部の北側には,縄文時代の土坑群が足の踏み場もないほど密集しています。入り口が狭く,底面に行くに従い膨らむように掘り込まれた袋状土坑を数多く確認しました。いくつもの土坑が複雑に重なり合っているため,覆土や出土遺物などで土坑の重複関係を判断しながら調査を進めています。台地縁辺部に位置する第173号竪穴建物跡は,長方形の掘り込みの隅部に竈を構築した平安時代の建物跡です。床面から銅造の小さな仏像(小銅仏)が出土しました。残念ながら,顔の表現は不明ですが,胸の前で合掌していることがわかります。大きさは約3cmであり,県内の出土例の中でも特に小さなものです。古代の人々と仏教の関係を検討する上で,貴重な資料となります。
 
複雑に重なり合う縄文時代の土坑群 平安時代の小銅仏(第173号竪穴建物跡)
 

調査の状況

現在,調査区東部で縄文時代の土坑群や古墳時代の竪穴建物跡の調査を行っています。縄文時代の土坑は狭い範囲に密集し,いくつもの土坑が複雑に重なり合っています。形を留めている縄文土器は少なく,ほとんどは破片ですが,第1038号土坑からは,縄文時代中期の土器が良好な状態で出土しました。また,古墳時代後期の第170号竪穴建物跡の竈からは,土師器甕と多量の土玉が出土しました。土師器甕を取り上げると,その下には土製の支脚が残っていました。土師器甕は,竈の天井部が崩落した際に押しつぶされたものと考えられます。土玉は竈の中から57点が出土しました。こうした例は比較的稀であり,当時の竈をめぐる儀礼や祭祀を考える上で,重要な事例となります。
 
袋状土坑から出土した縄文土器(第1038号土坑) 竈から出土した土師器甕と多量の土玉(第170号竪穴建物跡)
 

調査の状況

現在,調査区東部の遺構確認作業を進めながら,調査区西部の遺構調査を行っています。調査区西部で確認した第1号溝跡は,上幅2m,深さ1mほどで,大きくV字状に掘り込まれています。昨年度までの調査結果を踏まえると,谷と谷とを結ぶように掘り込まれていることから,台地を分断するために構築されたと考えられます。中世の高野浜城が当遺跡の南方約300mの同じ台地上に築かれていることから,第1号溝跡は高野浜城に関係している可能性があります。第2号竪穴建物跡は,一辺が5.5mほどの古墳時代中期の建物跡で,床面の中央部東寄りに長径90cm,短径80cmの炉が構築されています。炉からは,逆位や横位の状態で煮炊きに使用した土師器甕などが出土しました。調査区東部では数多くの遺構のほかに,大規模な遺物包含層と斜面貝層が発見されました。今後は調査区東部の遺構の調査に進んでいきます。
 
V字状に掘り込まれた第1号溝跡 炉上に廃棄された土師器(第2号竪穴建物跡)
 

調査の状況

現在,縄文時代の土坑や,古墳時代の竪穴建物跡などを調査しています。第166号竪穴建物跡は,出土した土器の特徴から古墳時代後期と考えられます。北壁の中央部に設けられた竈からは凝灰岩で作られた支脚が発見されました。また,この建物跡は,30点を超える土玉や,東海地方産の須恵器が出土したことが特徴です。東海地方産の須恵器は2点出土し,そのうちの1点は須恵器の蓋で,貯蔵穴の底面から完全な形で出土しました。
 
支脚の残る第166号竪穴建物跡の竈 貯蔵穴の底面から出土した東海産の須恵器
 

調査の状況

平成28年度の調査が始まりました。今年度の調査は7か月間の予定です。現在は,複雑に重なり合った縄文時代の土坑群,古墳時代や平安時代の竪穴建物跡などを調査しています。深さ50cmほどの縄文時代の土坑からは,多くの縄文土器が捨てられた状態で発見されました。また,平安時代の竪穴建物跡からは,内面を黒色処理した土師器などが出土しました。これまでの調査の成果と,今後の新たな発見から,地域の歴史を明らかにしていきたいと思います。
 
捨てられた状態で発見された縄文土器 竪穴建物跡の壁際から出土した平安時代の土器群
 

 
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