宮中野古墳群
きゅうちゅうのこふんぐん
所在地 | 茨城県鹿嶋市大字宮中字宮中野3702-3番地ほか |
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立地 | 鹿嶋市の中央部,北浦東岸の標高約35mの台地上 |
調査期間 | 2015年4月1日~8月31日 |
調査面積 | 12,148㎡ |
主な時代 | 古墳時代平安時代室町時代江戸時代 |
主な遺構 | 土師器(坏・甕),須恵器(甕),陶磁器(碗),土製品(土玉),石製品(有孔円板),自然遺物(貝殻) |
主な遺物 | 土師器(坏・甕),須恵器(甕),陶磁器(碗),土製品(土玉),石製品(有孔円板),自然遺物(貝殻) |
調査の成果
本遺跡では,昨年度の調査結果と合わせて竪穴建物跡55棟,土坑462基,溝跡12条などが確認できました。古墳時代中期のものと考えられる竪穴建物跡は,約半数の28棟が焼失した家屋であることが分かりました。また,ほとんどの竪穴建物跡が炉を有している中,2棟だけ竈を有していることから,炉から竈への移り変わりの時期であったことも伺えます。土坑は,二段に掘り込まれた形状や円筒状のものなどが見つかりました。時期を特定する土器類が出土していませんが,形の特徴からいつ頃に使用されていたものか考えていきたいと思います。溝跡からは土師器片の他に,奈良・平安時代の須恵器片,江戸時代の陶磁器片等が見つかっているため,集落の時代よりも新しいものであることが分かります。
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南側から調査区を見た様子
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第4溝跡の完掘状況
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二段掘りの土坑の完掘状況
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第52号竪穴建物跡完掘状況の様子
調査の状況
7月に調査した竪穴建物跡のうち,2棟の竪穴建物跡では,竈(かまど)が付設されていました。これまでの調査では炉がある建物跡しか確認していませんから,今回,初めて竈がある建物跡を確認し,集落に竈を導入した時期が明らかになりました。そのうち第51号竪穴建物跡は,東壁際に竈がありました。竈の内部からは,逆さに重ねられた土師器の坏と甕が出土しました。外側が赤く焼けていることから,竈にかける甕が落ちないようにする支脚に転用されたものと考えられます。
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第51号竪穴建物跡の様子
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逆さになった土器がある竈
調査の状況
遺構確認作業が終わり,調査を本格的に開始しました。前年度の調査に続き,第31・32・33号竪穴建物跡の覆土からは大量の炭化材・焼土が確認でき,焼失した建物と分かりました。特に第32号竪穴建物跡では,焼土層の下から土師器の坏がほぼ完形で,割れた甕とともに出土しました。これらの出土状況から,建物が焼失する前から土器が建物内に置かれていたことが分かります。焼失と考えられる建物跡は,故意に燃やしたのか,あるいは失火なのか,今後の調査で明らかにしていきたいです。
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遺構確認作業の様子
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遺構確認状況(調査区域南側)
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第32号竪穴建物跡の遺物出土状況
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第32号竪穴建物跡の土器出土状況
調査の状況
昨年度から引き続いて1,696㎡の調査と10,452㎡の表土除去工事が終了したところです。第26・27号竪穴建物跡は,出土した遺物から古墳時代中期(5世紀代)と考えられます。いずれの竪穴建物跡も,覆土下層からは多くの炭化材と焼土が確認でき,廃絶する際,建物が焼かれたと考えられます。さらに,第26号竪穴建物跡では勾玉が,第27号竪穴建物跡では須恵器の蓋が,それぞれ炭化材と焦土の下層から出土しました。須恵器は,その器形や胎土から,県外からの搬入品と考えられます。
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第26号竪穴建物跡遺物出土状況
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勾玉の出土状況
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第27号竪穴建物跡完掘の様子
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須恵器蓋の出土状況