発掘遺跡一覧

島名境松遺跡

しまなさかいまついせき

所在地 茨城県つくば市島名字境松3766-2番地ほか
立地 つくば市の南西部,東谷田川右岸の標高約23mの台地上
調査期間 2018年8月1日~2019年3月31日
調査面積 21,426㎡
主な時代 縄文時代古墳時代
主な遺構 縄文土器(深鉢・浅鉢・蓋),土師器(坩・甕),須恵器(坏),石器(石鏃・打製石斧・磨製石斧・磨石・石皿),土製品(耳飾り),ガラス製品(小玉)
主な遺物 縄文土器(深鉢・浅鉢・蓋),土師器(坩・甕),須恵器(坏),石器(石鏃・打製石斧・磨製石斧・磨石・石皿),土製品(耳飾り),ガラス製品(小玉)

調査の成果

今回の調査範囲は,中央部の谷津をはさんで南部と北部に台地が分かれています。調査の結果,縄文時代と古墳時代の竪穴建物跡57棟,土坑約520基,陥し穴9基,溝跡4条,古墳1基などを確認しました。南部台地では縄文時代中期後葉から後期前葉の竪穴建物跡のほかに,貯蔵穴と考えられる円筒状・袋状土坑や陥し穴などが確認されました。北部台地では縄文時代中期後葉と古墳時代中期の竪穴建物跡のほかに,古墳時代後期の方墳が確認されました。縄文時代中期後葉には,谷津をはさんで両台地上に集落が営まれていたと考えられます。陥し穴は縄文時代早期から前期のものと推測され,当時の南部台地は狩場として使われていたようです。古墳時代中期になると北部台地を中心に集落が営まれはじめ,後期には古墳が造られるようになり,集落から墓域へと変化していったことが明らかになりました。

  • 土器埋設炉を持つ第89号竪穴建物跡

  • 土器埋設炉に用いられた縄文土器

  • 7か所の主柱穴を持つ第97号竪穴建物跡

  • 第1143号土坑から横たわって出土した縄文土器

調査の状況

調査区内南部台地の東側では長径約2mの土坑が複雑に重なって構築されており,縄文土器の大形破片などがたくさん出土しています。時期は縄文時代中期後葉から後期初頭と考えられます。南部台地の西側では3基の陥し穴を確認しました。出土遺物がないため,詳細な時期は不明です。第1号陥し穴は規模がやや小さく,覆土には黒色土が堆積していましたが,第2・3号陥し穴の覆土には暗褐色土が堆積しており,同じ陥し穴でも時期的な差があるものと考えられます。南部台地の東側と西側では,遺構の種類や数量に違いが認められ,東側は竪穴建物を中心とした居住域,西側は集落外縁部の様相がうかがえます。

  • 大形の縄文土器片が出土した円筒状の土坑

  • シカやイノシシを捕えるための陥し穴

調査の状況

8月から進めてきた北部台地の調査が終了しました。調査区のほぼ中央に位置する第1号墳は,周溝まで含めた大きさが一辺約20mの方墳で,埋葬施設は横穴式石室でした。築造時期は不明ですが,形状から古墳時代後期の6世紀終わり頃から7世紀代と推測されます。石室の石材には筑波山麓で産出する雲母片岩が用いられていました。残念なことに盗掘を受けており,また,現代の耕作によって大半を破壊されてしまっています。出土遺物もほとんどなく,わずかに石室の底石の一部が遺っていたにすぎませんでした。第1号墳の西側では,古墳時代中期の竪穴建物跡2棟を確認しました。どちらも焼失した家屋で,土師器の高坏や坩が出土しています。当遺跡は縄文時代中期と古墳時代中期に集落が営まれた後,古墳時代後期になると墓域へと変化したことがわかりました。しかし,第1号墳以外の古墳が確認されなかったことから,古墳群を形成することはなかったと考えられます。

  • 上空から見た北部台地(南から)

  • 古墳時代の竪穴建物跡と方墳

調査の状況

これまでに縄文時代から古墳時代までの竪穴建物跡20棟,縄文時代を中心とした土坑約120基などを調査しました。北部台地の第63号竪穴建物跡では大型の地床炉を確認しました。地床炉の長径は約1.5mで全体的に赤く焼けていました。かなり長期にわたって使用されていたようです。出土した遺物から,約4500年前の縄文時代中期後葉の建物跡と考えられます。南部台地の縄文時代中期中葉の第56号竪穴建物跡からは,縄文土器が多量に出土しました。また,床面を約20㎝掘りくぼめた地床炉を確認しました。北部台地の第63号竪穴建物跡の地床炉とは大きさが異なり,時期による炉の形状や大きさの変化がうかがえます。

  • 大型の地床炉をもつ第63号竪穴建物跡

  • 一般的な地床炉をもつ第56号竪穴建物跡

調査の状況

現在,遺構確認作業を終了し,調査範囲を南北に分断する埋没谷をはさんで,北部台地と南部台地の調査にあたっています。北部台地では,竪穴建物跡や土坑,古墳,炭焼き窯跡を確認しました。第46・53号竪穴建物跡は,いずれも焼土や炭化材が出土しているため焼失した家屋と推測され,出土した遺物から,5世紀前半の建物跡と考えられます。南部台地では,縄文時代の包含層と竪穴建物跡,土坑などを調査しています。包含層からは,今から約4500~3500年前の縄文時代中期から後期にかけての縄文土器が出土しています。包含層の下からは,同時期の竪穴建物跡や土坑などを確認しています。第50号竪穴建物跡は楕円形の建物で,その中央部付近から地床炉と土器埋設炉が重なって構築されており,炉を作り替えたと考えられます。

  • 焼土や炭化材が散在する第53号竪穴建物跡

  • 縄文時代中期の第49・50号竪穴建物跡

調査の状況

平成12・15・16年度の調査に続く,第3次の調査が始まりました。これまでの調査では,縄文時代中期後半の竪穴建物跡や土坑,古墳時代後期の竪穴建物跡などを確認し,縄文時代と古墳時代の集落跡の様相が明らかにされています。今年度の調査は当遺跡の南部で,谷津を挟んだ台地上に位置しています。8月から表土除去作業を開始し,南側の台地を中心に竪穴建物跡約50棟,土坑約500基を確認しました。また,北側の台地の中央部から,一辺約15mの方墳を確認しました。上部が削平されているため,周溝と主体部の一部を確認したにすぎませんが,古墳は当遺跡では初めての確認になります。

  • 台地北東側からみた島名境松遺跡

  • 遺構確認作業

つくば島名事務所

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