発掘遺跡一覧

島名本田遺跡

しまなほんでんいせき

所在地 茨城県つくば市島名字薬師台1716番地ほか
立地 つくば市の南西部,谷田川右岸の標高21~24mの台地上
調査期間 2015年4月1日~10月31日
調査面積 5,773㎡
主な時代 縄文時代古墳時代奈良時代平安時代江戸時代
主な遺構 土師器,須恵器,灰釉陶器,陶器,磁器,土製品(支脚・土玉・羽口),石製品(砥石・紡錘車・有孔円板・剣形模造品),石器(鏃・打製石斧・磨製石斧),金属製品(刀子・釘・煙管),鍛冶関連遺物(椀状滓・鍛造剥片・粒状滓)
主な遺物 土師器,須恵器,灰釉陶器,陶器,磁器,土製品(支脚・土玉・羽口),石製品(砥石・紡錘車・有孔円板・剣形模造品),石器(鏃・打製石斧・磨製石斧),金属製品(刀子・釘・煙管),鍛冶関連遺物(椀状滓・鍛造剥片・粒状滓)

調査の成果

今年度の調査が終了しました。6月以降の本格的な調査で,竪穴建物跡46棟,掘立柱建物跡9棟,鍛冶工房跡3基,炉跡2基,陥し穴1基,土器焼成遺構1基,土坑189基,溝跡5条,道路跡2条,柱穴列2条などを確認しました。調査の結果,当遺跡は,縄文時代には狩猟場として利用された後,古墳時代中期になって集落が形成され始め,平安時代まで断続的に集落が営まれていたことが明らかになりました。特徴的な遺構は,奈良時代の第1号鍛冶工房跡で,鉄の精錬鍛冶(鉄塊を鉄素材に仕上げる大鍛冶)が行われていたことが分かりました。当遺跡に隣接する島名八幡前遺跡でも同様の精錬鍛冶炉が確認されており,当遺跡を含む島名地区南西部の鍛冶集団は,周辺の集落へ鉄素材を供給する役目を担っていたと考えられます。

  • 遺跡の遠景(西から)

  • 遺跡の近景(真上から)

  • 整然と建ち並ぶ掘立柱建物跡群

  • 平安時代の第3号鍛冶工房跡

調査の状況

6月から始まった調査は,いよいよ終盤となりました。これまでに鍛冶工房跡や土器焼成遺構といった特徴的な遺構を紹介してきましたが,発見された竪穴建物跡の多くは,北壁中央部に竈を付設し,4本の柱をたてた柱穴と,竈の反対側に出入口施設と思われる小穴を有する構造でした。第26号竪穴建物跡の覆土から出土した土師器坏には,墨で漢字2文字が書かれていました。1つは「川」を横向きに,もう1つは「毎」と「水」を上下に組み合わせた文字のように見えます。「海」という字の異体字(異なる形の同じ文字)にこのような文字がありますが,はたしてどのように読むのでしょうか。今後,詳しく調べていきたいと思います。

  • 竪穴建物跡の構造(第31号竪穴建物跡)

  • 墨書土器(第26号竪穴建物跡出土)

調査の状況

調査開始から3か月が過ぎ,調査も佳境に入りました。前回紹介した工房跡に続いて,興味深い遺構を確認しました。それは,調査区南部の標高23mの台地上で確認した土器焼成遺構です。平面形は長径1.5m,短径1.2mほどの楕円形で,深さ20~25cmに地面を皿状に掘りくぼめていました。壁面や底面は,火を受けて赤く変色し,硬化していました。出土した土器は,10世紀後葉から11世紀前葉と考えられる土師器の坏や小皿10点ほどです。現在のところ,確認した土器焼成遺構は1基のみですが,隣接する島名熊の山遺跡からも同時期の遺構が複数確認されています。10世紀から11世紀にかけての土器製作の一端を垣間見ることができました。

  • 焼土とともに出土した土師器片

  • 出土した土師器の小皿や坏

調査の状況

7月中旬から遺構の調査を本格的に開始し,現在,調査区東部の斜面部から台地部にかけて,竪穴建物跡を中心に調査を進めています。調査区南東部の斜面部において,方形の堅穴建物跡の覆土から多量の鉄滓や鍛造剥片,粒状滓などが出土しました。鉄生産にかかわる遺構と考え,第1号工房跡として調査を開始したところ,床面から多量の鉄滓や鍛造剥片,粒状滓などの他,須恵器坏などの土器や鞴の羽口などが出土しました。床面の中央部北寄りで,砂と粘土の混土で構築された炉跡を確認しました。高熱によって炉の上部は赤く,内部は還元焼成により青黒く変色し,金属音がするほど硬化しています。これは鍛冶炉と考えられ,同様な炉がもう1か所確認されています。今後は,作業場所ごとに採取した土壌分析や金属学的な分析を行い,当時の竪穴空間利用のあり方をはじめ,鍛冶の作業工程や内容について明らかにしていきたいと思います。

  • 炉や作業用ピットからなる第1号工房跡

  • 羽口を据えた痕跡の残る第1号炉跡

調査の状況

表土除去は7月上旬に終了しました。その後は7月中旬まで調査の準備や遺構の確認作業を進めてきました。調査区の地形は,西から東に向かって緩やかに下る斜面地になっており,北東部には埋没谷が広がっています。主な遺構は約30棟の竪穴建物跡をはじめ,十数棟の掘立柱建物跡などで,それらは平坦部から斜面地にかけて,やや密集した状態で確認されました。また,埋没谷の黒色土の範囲からは,中世以降の土坑や火葬施設などが確認できました。時代によって居住生活の場や土地利用のあり方が異なっているようです。今後は10月末の調査終了に向けて,遺構の調査を本格的に進めて行きます。

  • 遺構の確認作業

  • 見えてきた竪穴建物跡の輪郭

つくば島名事務所