東田中遺跡
ひがしたなかいせき
所在地 | 茨城県石岡市東田中字貝柄829-1番地ほか |
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立地 | 石岡市の南東部,山王川左岸の標高20~24mの台地上 |
調査期間 | 2015年7月1日~12月31日 |
調査面積 | 3,297㎡ |
主な時代 | 縄文時代古墳時代平安時代 |
主な遺構 | 縄文土器,土師器,須恵器,土製品(土玉・勾玉・土器片錐),石器(石斧・敲石・石錐・石皿・石鏃・砥石),石製品(紡錘車),鉄製品(刀子) |
主な遺物 | 縄文土器,土師器,須恵器,土製品(土玉・勾玉・土器片錐),石器(石斧・敲石・石錐・石皿・石鏃・砥石),石製品(紡錘車),鉄製品(刀子) |
調査の成果
東田中遺跡の調査が終了しました。調査の結果,縄文時代では,竪穴建物跡と貯蔵用の土坑が狭い範囲に重複して確認でき,多様な文様の縄文土器が数多く出土しました。古墳時代では,主に中期と後期の遺構と遺物を確認しました。平安時代では,竪穴建物跡を確認しました。これらの調査の成果から,縄文時代から平安時代に至るまで,霞ヶ浦に流入する山王川沿いの台地に人々が生活していたことが明らかになりました。
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当遺跡と霞ヶ浦
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上空から見た調査区域
調査の状況
東田中遺跡の調査が順調に進んでいます。12月中旬までに,縄文時代・古墳時代・平安時代の竪穴建物跡を計20棟,縄文時代を中心とした土坑を約300基などを調査しました。
特に,縄文時代中期に比定できる第64号竪穴建物跡は,円形に巡る壁溝の内側に柱穴がほぼ等間隔に配置され,中央には縄文土器が埋められて炉として使用されていました。縄文時代の建物の構造を考察する上で,大変良好な資料となります。また,炉の周りは踏みしめられており,当時の人々が調理をしたり,暖をとったりしていた光景が浮かんできます。
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縄文時代の第64号竪穴建物跡
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土器を埋めた第64号竪穴建物跡の炉
調査の状況
東田中遺跡の調査を再開しました。縄文時代の竪穴建物跡や土坑が多数確認でき,様々な模様のついた縄文土器が出土しています。ダイナミックな模様の土器を見ていると,当時の人々の技術力に驚くばかりです。
古墳時代の第47号竪穴建物跡は,東壁が外側に張り出した位置に貯蔵穴が作られています。貯蔵穴の周りには粘土が貼られ,馬蹄形の高まりも確認できました。
さらに,古墳時代と平安時代の竪穴建物跡が重複して確認でき,当地域が古代から生活しやすい場であったことがうかがえます。
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出土した縄文土器
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第47号竪穴建物跡の全景
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第47号竪穴建物跡の貯蔵穴
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重複している竪穴建物跡
調査の状況
昨年度に引き続き,当遺跡の調査を7月から開始しました。昨年度は縄文時代中期の貝塚を中心に調査を行いました。今回の調査区域は貝塚の東側となります。現在までに,縄文時代の土坑や古墳時代や古代の竪穴建物跡を調査しました。石岡市は古代には常陸国の中心ですが,霞ヶ浦に近い当遺跡では縄文時代から人々が集い,生活する,大変住みやすい場所であったようです。
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出土した縄文土器
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竈の作り方を調べている調査員