金田西坪B遺跡
こんだにしつぼびーいせき
所在地 | 1区 茨城県つくば市金田字明神南1,746-1番地ほか 2区 茨城県つくば市金田字岡道1,687番地ほか |
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立地 | つくば市の東部,花室川左岸の標高27mの台地上 |
調査期間 | 1区 2016年4月1日~8月31日 2区 2016年12月1日~2017年3月31日 |
調査面積 | 1区 8,960㎡ 2区 8,717㎡ |
主な時代 | 縄文時代弥生時代古墳時代奈良時代平安時代室町時代江戸時代 |
主な遺構 | 1区 縄文土器(深鉢),土師器(坏・甕),須恵器(坏・蓋・甕・甑),土師質土器(小皿・擂鉢・火鉢・内耳鍋),陶器(皿・碗・鉢・甕),磁器(皿・碗),瓦,石造物(宝篋印塔・五輪塔・礎石),石製品(砥石),木製品(椀・曲げ物) 2区 縄文土器(深鉢),弥生土器(壺),土師器(坏・甕),須恵器(坏・蓋),磁器(碗) |
主な遺物 | 1区 縄文土器(深鉢),土師器(坏・甕),須恵器(坏・蓋・甕・甑),土師質土器(小皿・擂鉢・火鉢・内耳鍋),陶器(皿・碗・鉢・甕),磁器(皿・碗),瓦,石造物(宝篋印塔・五輪塔・礎石),石製品(砥石),木製品(椀・曲げ物) 2区 縄文土器(深鉢),弥生土器(壺),土師器(坏・甕),須恵器(坏・蓋),磁器(碗) |
調査の状況(2区)
調査区の中央部では,弥生時代の竪穴建物跡や縄文時代の土坑などを確認しています。弥生時代の第66号竪穴建物跡は,床面近くの覆土に炭化材や焼土が含まれており,床面の一部も焼けていることから,上屋が焼失したと推測されます。また,縄文時代中期の第182号土坑は,開口部から底部にかけて拡がっており,いわゆる袋状土坑と言われる形状です。第187号土坑からは,底面に横になった状態で縄文土器の深鉢が出土しています。南側の台地平坦部から台地縁辺部にかけては,様々な時代の遺構が重なり合っています。これまでの調査によって,当地は縄文時代から人々の生活域となっていたことが分かりました。
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炉と主柱穴を有する第66号竪穴建物跡
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上屋の焼失を物語る炭化材と焼土
(第66号竪穴建物跡) -
袋状に掘り込まれた第182号土坑
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縄文土器が横たわる第187号土坑
調査の状況(2区)
緩やかに傾斜している北端部に位置している大型円形土坑は,径5.4m,深さ2mほどの大きさで,断面形は漏斗状です。覆土からは平安時代の須恵器や土師器の甕片が出土していることから,平安時代には廃絶されたものと考えられます。底には浅い窪みがあり,同様の形状の土坑が,調査区北側の1区でも確認されています。前回紹介した第17号掘立柱建物跡と近接し,同じ時代の遺構の可能性があります。今後,類例を参考にして,遺構の性格を明らかにしていきたいと思います。また,南側の台地縁辺部寄りには数多くの遺構が存在し,そこに位置している第62号竪穴建物跡は,出土した土器から古墳時代後期と考えられます。この建物跡からは,上屋を支える柱穴4か所,出入口施設に関わる柱穴1か所が見つかり,当時の建物の構造を窺うことができます。
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底面に窪みのある大型円形土坑
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典型的な構造の古墳時代後期の竪穴建物跡
調査の状況(2区)
調査区を横断する市道を挟み,南部は台地縁辺部で,遺構が集中しているのに対して,北部は緩やかに傾斜しており,南部に比べると遺構は少ない状況です。そうした中でも,縄文時代の土坑をはじめ,竈が付設された古代の竪穴建物跡,掘立柱建物跡,調査区を横断するように延びる溝跡や道路跡などが確認できました。第153号土坑は,深さ20cmほどの円筒形で,覆土上層から縄文土器片が出土しました。土器の特徴から縄文時代中期(約4,500年前)と判断できます。当時はもっと深い土坑で,後世の土地改変などにより,土坑の上部が削平されたものと考えられます。また,調査区北端部の第17号掘立柱建物跡は,桁行4間,梁行3間の古代の側柱建物です。梁間3間というという建物は,一般の集落では比較的珍しい建物です。
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第153号土坑と捨てられた縄文土器
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単独で発見された第17号掘立柱建物跡
調査の成果(2区)
12月から2区の調査に着手しました。現在までに竪穴建物跡や掘立柱建物跡,土坑,溝跡などを確認しました。竪穴建物跡の時期は,縄文時代をはじめとして,主体は古墳時代から平安時代と考えられます。それらは2区の南東部に集中していることから,台地縁辺部を中心に大規模な集落跡が広がっていると予想されます。すでに調査を終了した1区では,室町時代を中心とした大規模な城館跡が確認されており,当遺跡の複雑な土地利用のあり方が窺えます。1月以降,本格的な遺構調査を始め,当遺跡の具体的な様相の解明に努めていきます。
調査の成果(1区)
今回の調査によって,古代の遺構は,竪穴建物跡や溝跡などを確認しました。第23号溝跡は,何らかの施設を方形に区画した可能性が考えられます。区画内部の様子は,中世の遺構などに掘り込まれているため不明です。溝跡からは瓦片が出土していることから,隣接する九重東岡廃寺との関連が考えられます。また,平安時代の竪穴建物跡の発見は,河内郡衙周辺の集落域が当遺跡の範囲まで広がっていたことを裏づけています。今回の調査の主体は,中世の大規模な遺構群です。外敵を防御するにふさわしい幅3m,深さ1~2mの堀がめぐっていたり,鉤の手状の堀によって出入口部が設けられたりしていることなどから,城館跡の一部と考えられます。内部には,数多くの井戸や方形竪穴などが構築されており,城館の構造の一部が窺えます。当時,当遺跡の周辺は「宿屋敷」と呼ばれており,近隣の金田城との関連が考えられます。このように,古代を中心としたこれまでの当遺跡の調査成果に加え,中世の大規模な城館跡の発見は,金田台地における人々の生活の痕跡が幾重にも重なり合い,当地域の歴史を形づくっていることを物語っています。
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中世の堀(中央)に掘り込まれた古代の竪穴建物跡
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スロープ(左上)が設けられた方形竪穴
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調査区遠景
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上空から見下ろした城館跡
調査の状況(1区)
現在,調査区の中央部を調査中です。中世の城館跡の内部にあたる部分で井戸跡や建物跡などを掘り進めています。また,中世の遺構群の下位に存在している奈良・平安時代の竪穴建物跡や溝跡なども調査しています。調査が進むにつれて,大規模な堀跡が姿を現しました。大半の堀跡は調査区域外へ延びていますが,外敵を防御するために屈曲したり,出入口部を掘り残したりしながら,方形に区画されていると考えられます。堀跡の幅は約3m,深さは約1~2mと大形で,容易に越えることができません。調査は終盤を迎え,今後は調査区南部に広がる低地の調査を行う予定です。
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堀跡に囲まれた建物跡などの遺構群
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埋め戻された堀跡から出土した土器群
調査の状況(1区)
現在,調査区北部の堀跡や方形竪穴をはじめ,地下式坑,土坑,溝跡などの様々な遺構を調査しています。それらは粘土ブロックを多く含んだ固い土で覆われ,毎日,力の要る掘り込み作業が続いています。一般的に性格不明とされる地下式坑は,これまでに4基を確認しました。中でも第4号地下式坑は深さ約2mで,覆土や壁面の観察から,天井部が崩落した様子が明瞭に観察できました。堀跡や土坑からは,土師質土器の内耳鍋や擂鉢,小皿をはじめ,陶器や石造物といった室町時代の生々しい暮らしぶりが窺える遺物がたくさん出土しています。今後は調査を南側に進めながら,堀跡などが示す複雑に重なり合った区画と各遺構の関係を把握し,姿を現した城館跡の様相の解明に努めていきます。
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地下深くまで掘り込まれた第4号地下式坑
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饗宴や儀式で使用した小皿か(第26号土坑)
調査の状況(1区)
当遺跡は,古代の常陸国河内郡の役所である郡衙の正倉院として知られています。4月から正倉院の西側で調査を開始しました。調査区は奈良・平安時代を中心とする金田西遺跡や九重東岡廃寺にも隣接していますが,溝跡や地下式坑などの遺構をはじめ,出土した土師質土器の小皿,常滑系の陶器などの特徴から,室町時代の遺構が主体とみられます。調査区北端で確認した第11号溝跡は大規模に掘り込まれており,鉤(かぎ)の手状であることから,城館跡に伴う区画溝と考えられます。当時の景観が復元できることを楽しみにしながら調査を進めています。
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南北に延びる調査区と多数の遺構
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鉤の手状に掘り込まれた第11号溝跡