金田西遺跡
こんだにしいせき
所在地 | 茨城県つくば市金田字西原1891番地ほか |
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立地 | つくば市の東部,花室川左岸の標高22mの台地上 |
調査期間 | 2015年4月1日~2016年3月31日 |
調査面積 | 7,680㎡ (内6,211㎡は調査完了,1,469㎡は次年度以降) |
主な時代 | 縄文時代古墳時代奈良時代平安時代室町時代江戸時代 |
主な遺構 | 縄文土器,土師器(坏・高台付皿・鉢・甕・甑),須恵器(坏・高台付坏・蓋・盤・高盤・短頸壺・甕・甑・コップ形土器),瓦,土製品(土製支脚),石製品(紡錘車・温石),金属製品(鉄鏃・鎌・刀子・鉄鉗・巡方) |
主な遺物 | 縄文土器,土師器(坏・高台付皿・鉢・甕・甑),須恵器(坏・高台付坏・蓋・盤・高盤・短頸壺・甕・甑・コップ形土器),瓦,土製品(土製支脚),石製品(紡錘車・温石),金属製品(鉄鏃・鎌・刀子・鉄鉗・巡方) |
調査の状況
今年度の調査が終了しました。調査の結果,奈良時代と平安時代の竪穴建物跡39棟,掘立柱建物跡22棟などを確認しました。土師器や須恵器の器などが多く出土したほか,「寺」などと墨書された土器,病気の患部を温めていたと考えられている温石,役人の身分を表す腰帯具の一部である巡方などが出土しました。これらのことから,当遺跡に隣接する九重東岡廃寺に関係した僧侶や寺院の営みに従事した人々,また,古代の河内郡衙の仕事に関わった人々の集落跡と考えられます。
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金田西遺跡の全景(写真の上が河内郡衙跡)
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建ち並ぶ建物跡群
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奈良時代の竪穴建物跡
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県内2例目の発見となる温石(8世紀前葉)
調査の状況
奈良時代の竪穴建物跡からは,糸を紡ぐ道具である紡錘車が出土しています。その上面には記号のような線刻が見られます。また,平安時代の竪穴建物跡の竈脇からは,重ねられた坏4個体をはじめ,大型のコップ形土器などの須恵器が出土しています。これまでの調査で,竪穴建物跡や掘立柱建物跡などの遺構や土器などの遺物が多く見つかっており,河内郡衙に関わったと集落と考えられます。3月上旬に予定している遺跡の一般公開で,調査成果を多くの方々にお伝えしたいと思います。
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線刻のある紡錘車(幅5cm)
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重ねられた坏(中央)と大型のコップ形土器(奥)
調査の状況
調査区南部の緩斜面で,粘土採掘坑を確認しました。西側の埋没谷に向かって,南北約20mにわたって延びています。谷につながる緩斜面であることから,粘土の採掘に適した場所と考えられます。掘り込みは,粘土層から砂層に達しており,竈の構築材や掘立柱建物の柱を固定する埋土などに利用するために採掘したと推測されます。出土した土師器や須恵器,隣接する竪穴建物跡との重複関係から,時期は平安時代と考えられます。竪穴建物跡や掘立柱建物跡のみならず,このような遺構も古代の人々の生活の様子を今に伝えてくれます。
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土層で確認できる粘土を採掘した跡
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緩斜面に広がる粘土採掘坑(東から)
調査の状況
調査区南部の調査を始めました。調査区南部には谷津が入っており,埋没土である黒色土が堆積しています。後世の削平などにより,遺構の遺存状況が悪い中,緩やかな斜面付近で竪穴建物跡5棟,掘立柱建物跡2棟,溝跡7条,粘土採掘坑1基,井戸跡1基などを確認しました。今後は調査区中央部に向かって,古代の竪穴建物跡や掘立柱建物跡などの調査を進め,集落の様相を探っていきます。
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2×3間の掘立柱建物跡(掘方状況:西から)
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調査区南部の遺構と埋没谷(北西から)
調査の状況
隣接する九重東岡廃寺の調査が終わり,金田西遺跡の本格的な調査が始まりました。現在までに,竪穴建物跡7棟,掘立柱建物跡6棟,土坑23基,溝跡6条などを調査しました。調査区の北側に位置する第342号竪穴建物跡の覆土中からは,多くの須恵器や土師器が形をとどめた状態で出土しました。また,調査区の中央部に位置する第351号竪穴建物跡からは銙帯(かたい)という腰帯(こしおび)の飾りである銅製の巡方(じゅんぽう)が出土しました。巡方は当時の六位以下の役人が身に付けたもので,河内郡衙跡である金田西遺跡の特色を表す遺物の一つと考えられます。
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多くの土器が出土した第342号竪穴建物跡
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奈良時代の役人の存在を示す巡方
調査の状況
表土除去と遺構確認作業が終了しました。その結果,竪穴建物跡26棟や掘立柱建物跡12棟をはじめ,溝跡や土坑などを数多く確認できました。表土の中からは,文字の刻まれた瓦が出土しました。小さな破片のため1文字ですが,「里」と判読できました。当遺跡から文字の刻まれた瓦が出土したのは初めてであり,当遺跡と隣接する九重東岡廃寺との関係を考える上で,とても貴重な資料となります。
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遺構確認作業を終えた金田西遺跡
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初めて出土した文字の刻まれた瓦
調査の状況
金田西遺跡では表土除去と遺構確認作業を進めています。現在までに竪穴建物跡や掘立柱建物跡などが発見されています。九重東岡廃寺・金田西遺跡は,一般的な集落跡とは異なる寺院跡や官衙跡なので,今後の新たな発見に期待したいです。
九重東岡廃寺,金田西遺跡の調査が始まりました。
4月から,九重東岡廃寺・金田西遺跡の調査が始まりました。この地域は,古代の常陸国河内郡の中心地と考えられています。これまでの発掘調査で,金田西遺跡では郡衙跡に関わるとみられる掘立柱建物跡や竪穴建物跡が,九重東岡廃寺では仏堂とみられる基壇建物跡や四面庇付き掘立柱建物跡などが発見されています。現在,遺跡の様子を把握するために人力によるトレンチ調査を行っています。その結果,竪穴建物跡や掘立柱建物跡,溝跡などが見つかっています。今後は,重機による表土除去を行い,遺構をさらに確認していく予定です。遺跡の様相が明らかになることが楽しみです。
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土の色の変化を調べる遺構確認作業
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地表下約45cmで姿をあらわした竪穴建物跡